ポチは働かずに生きたい。

ポチ(忍者)のいつか死に絶える日までの記録。

キモポエムみたいな呟き、の巻。

※以下、

キモポエム風文章嫌いで反吐が出るって人見ないほうがいいです

吐いてもポチは両手でゲロキャッチしません(笑)

  

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことが心にガツン!と決まっているなら、ただそれに向かってガムシャラにチャレンジしてみればいい。

 

『簡単に他人事のように言ってくれるな』と思うかもしれないが。

これは投げやり意見でもないし、むしろ他人事だからできるエールでもある。

 

持たざる者からすれば、実際にそれを取り組まなくとも、一瞬でもいいから胸に夢・目標が芽生え抱けただけで、それだけでもうとてつもなく素晴らしいことで、大変羨ましいかぎりなのだ。

 

底知れぬ不安や、生き恥さらす勇気、後の失敗・損害だったりを想像して尻込みしてしまったり、目先の現実問題で資金が足りないとか諸々の事情もあると思う、なにかを始める前の課題は山積み山盛り。

それでもやりたいってことがあるなら、取り組むことに意味ある。今の想いを大切にできないなんて、もったいないの極み。情熱の冷めないうちに。試練に負けない意思があるうちに。限りある今この歳の一秒一秒の間に。

失敗は怖いことだが悪いことではない。トントン成功するにこしたことはないが、そんなラッキーなことなんて早々ない。

できることを我慢しているうちに、明日生きてるか・死んでしまうかもわからない。自分の人生の状況だけじゃなく、取り巻く周りの環境も同時に毎日少しづつ変わっていくものだから。

 

心の天秤がどちらに傾くのか。行けるなら進め、時ではないなら一回休み。

 

何かにつけていっぽん通ってる人は、何よりも強い。それが正しいのか間違っているかもわからないけれど、それでもいっぽん何か強いものが通ってる人はすごい。応援したいと思わせてくれるものだ。パワーがパワーを呼んで、大きくなる。

応援してくれている人は、少なからず、絶対、いてくれるものだ。いないと思うならそれは多分つらい心にフィルターがかかってて、透明人間のように傍にいても触れられず、見えていないだけだ。きっと今までもそうだったはずだ。

強い想いを持ち、やりたいことが(例え大成功で叶うかなんてわからなくても)ある人は、素直に尊敬する。尊敬される人には、ちゃんと人(パワー)がついてくる。

頼れる人がいるならば、全力で頼ればいい。自分の力だけで頑張ろうというのなら、根気強く頑張るのもいい。つらくなったら、誰にでも頼ればいい、泣きつけばいい。正直になればいい。プライドもいらない。他人は自分が思う程、案外こちらのことなんて重く思っていない時が多いし、受け流すのも上手だったりする。だからこそ案外平気な顔して大胆に受け止めてくれる時もある。結構助けてくれる人はいる。気にするな。

兎に角なにもしなければ始まらないのだから、行くも戻るも自分次第。自分の為に、自分を一番に。それでいいじゃないか。それでも一緒にいてくれる人はいる。

 

前にすすんでいく君が眩しくて力強くて、羨ましくてたまらない。

その道は私の追いかける道ではない。だから光にエールを送るのが精いっぱい。

いつか道をみつけたら、その時はどうぞよろしく、だ。

 

 

とある方へ伝わればいいなという一方的メッセージ。

そしていつか一秒後からの未来の自分へ激励も込めて。

 

 

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※以下、

今現在ポチ元気ないので、

読んでくれる人のポジティブパワーをカービィ並みに全力で吸い取りますので、

ここでブラウザバックするのをオススメしまーす!

 

 

 

 

 

この間から、ず~っと、ず~っと、モヤモヤが続いている。

 

ムシャクシャして、落ち着いたらモヤモヤして、それの繰り返し。

 

ただただ自分の中で納まるように誤魔化し誤魔化しの処理をして過ごす。

 

でも、あまり今は上手くいかない。なかなかの長期戦になる。

 

今までと違うことで試行錯誤してみるも、

やっぱり慣れない処理が下手でくすぶってしまう。

 

ぐすぶすぐすぶす…ぶすぶすくずくず(←くすぶる音)

 

いっそ全てをぶつけたらラクなのかなぁとか一瞬頭をよぎるけど、したくない。

ぶつけてしまえばまたそれがストレスになることを自分でわかっている。だから何も言わない。だったら秘めて、一人でくすぶってな!って感じ。くすぶることに全力で取り組む。

 

そして、元気のあるパワースポット的な人・物・場所・事から吸い取っていかなきゃ、オーバーかもしれないが、我を構成している細胞が死んでしまいそうだ。

 

世の中のリアルに、少しの時間でも触れたらば、リアルの世界で思われている自分と、こうやってネットの世界の自分とでのギャップが明らかになる瞬間が訪れる。

誰もリアルの私を知る人は、この世界のポチを知らない。逆もまた然り。

だから吐いてる。ここで。だからリアル隠してる。それでいい。

だが、あまりに勝手に想像されるのも、時に癪だ。