2月、誕生日を過ぎても生きていたので綴る日記、の巻。
お題「#この1年の変化 」
お久しぶりでございます。ポチです。
放置ばかりのポチブログ、今読んでくれてありがとうございます。
えへへ、元気に過ごしていますか~?(´・ω・`)
いつも、コッソ~リジワジワと皆を心配してるのです。
今日はね、だぁ~~~~~って語ろうと思ってます。
というのも、今年の2月は私にとって特別だからです。
あ、ブログはじめて密かに1周年でもあるのですよ~。
それが特別ってわけじゃないんだけど、便乗してみる(笑)
本当にながぁ~い文章で思いの丈を綴っていくから、文章はいつもどおりまとまってないし、いつものごとくネガティブキャンペーンだし、言いたい放題だし、このご時世呆れるような発言もしてしまうかもしれない。
それでも、暇つぶしにでも、仕方ねぇなぁ読んでやるよ!って方がいてくれたら、読んでくれたら…嬉しいなぁとポチは思っています。
では、いくよ!(∩´∀`)∩
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2月13日は、ポチ、35歳の誕生日でした。
具体的にブログで歳を言ったのは初めてな気がする!(笑)
で、ポチ、35歳の誕生日後、実は死のうと思ってたのです。
何言ってんだ~人は簡単に死なねぇものだ!とよく思われたり言われたりしますが、
簡単な思いで言ってるわけではなく、ガチで。
いつも最善の死に場所と死ぬ方法を探して、ここ10年程生きてました。
ある日ふと、35歳になったら死ななきゃ!と思ってしまって、35って基準はなんだろう?なんて自分で思いつつ不思議なのですが(笑)
なんていうのかな……もう、生きながらにして死んでる状態で過ごしてました。
好きなものも、できることも、物にも人にも興味もなく、ただ息して過ごす。
仕事も最低限生きられるだけの収入、頑張らない、努力しない人間になって。
『どうせ、死ぬんだし』が自分自身との合言葉。
堕ちていくのは簡単で、誰にも利益をうまない自分には価値がないと、それが望んだ自分なのにそれで苦しくて毎日泣いたり、それでも頑張ることなんて勿論出来ず、ただ苦しく死ぬことを目標に生きていました。
おかしい目標ですよね、目標は本来希望なのに、目標の最終地点は終わりっていう。
死は私にとって生きるよりも幸せなことだと、思っています。
”います”ということは、これは現在進行形で想いはかわっていないということですね。
そう過ごしているうちに、年々身体にも不調があらわれて、いろんなところがガタガタになってきました。死んでもいいから放置しようって粘っていたけれど、それでも人間痛みが強かったり、出血が止まらないとか、そういう場合はやっぱり死にたいのに病院行ってしまうんだなって客観的に見て笑うしかなかったり、結局通院が必要でお金がかかって、稼いでこなかった自分にまた嫌気がさしたり、更にグダグダの精神状態で過ごしてきました。本当にお金で新しい健康は買えない、健康は財産ですよね。
もちろんこの期間に良いことだってあったはずだけど、人間は悪いことばかり記憶に残っていつまでも引きずるもので、特にネガティブな私はその傾向が強く、結論そんな自分が変わらなければ幸せなど程遠いのはわかっていながらも、なにもかも諦めて死んだように生きている自分には幸せに向かって思考改善していこうなんて思えもしませんでした。
で、なんていうんだろうなぁ…。
死ぬ前に何か形を残して死にたくなった、それがポチブログのはじまりでした。
34歳を迎えて、1年だけ、なにかをしたくなったんだね。
でも悲しきかな。ブログタイトル、ご存じだろうか?
ポチは働かずに生きたい。
生きたい。とか言っちゃってる。あまつさえ、働かずに。
そして、名前はポチ。ポチだよ?ポチ。わんわん、だよ。
誰にも覚えてもらいやすくて、あわよくば可愛がってもらおうっていう魂胆みえみえの犬設定で取り入ろうと(悪ぅ!)していたわけですね。やだ~やだわぁ~もぉ~。
やっぱ死ぬ気ないじゃん!って言われちゃうかもしれないね。(笑)
でもね、なんかこれは、ポチ的には最後のあがきだったように思う。
最後くらい欲望露わにして、悪態ついて、恥ずかしい思想垂れ流しにして、したいこと・してほしいこと・恥ずかしいこと・全部好きにしていいよね?って感じで。
でもその裏で、死ななくても済むような方法とか少しの心境の変化とか、何でもいいから、何か救いを必死に求めていたのもあるんだろうと思う。今思えば、ですね。
それを考えたら、私はこのブログで救われたことが沢山あります。
一年迎えて、自分の記事を読み直したり、皆とのコメントのやりとりも、皆のブログにお邪魔して沢山の気持ちや考えを知る機会も沢山あり、今まで避けていたネットという新しい世界で、たくさんの救いを得たと思っています。
はてなブログは、本当、心があらわれる世界だなって思うから、その中でも星の数ほどいる人の中でポチと巡り合ってくれた方々は、本当にかけがえのない人だと思っています。死にたがりのポチを救ってくれた、皆に感謝しています。ありがとう。
で、今、35歳、生きてる。
生きちゃったんです。誕生日後も。
なんでかっていうとね、去年。半年程前。
捨てようとした命、拾ってくれるって人が突然あらわれた。
全部、全部、語るのも恥ずかしい生き様やら思考を全部聞いたうえで、
『じゃあ誕生日以降の月日、全部俺に頂戴!』
そう言ってくれた人がいた。
だから、生きてる。たったそれだけ、でもそのひとことで死んでない。
奇跡、だと思う。最後の生きるチャンスを貰った気がした。
だから、これが、最初で最後だと思う恋を、しています。
命がかかっているのですから。・・・重っ!(笑)
でもね~~~~
あの゛ね゛~~~~~~ボクね゛~~~~(突然の幼少期貴乃花)
死→生という、絶望→希望というね、いきなりのシフトチェンジするとなるとね、なかなかにハードモードで大変で・・・ポチはすぐ挫けるし、クソ雑魚豆腐メンタルなのでね、、、なかなかそれはそれで今苦しんでもいる。
なんせ死ななかった故の代償がすごい・・・すごいしわ寄せがきてるんだ。
感情にしろ、お金にしろ、なにもない私の、また一からのスタートになったから。
すごく大変。生きるってやっぱり怖くてしんどくて苦しい。様々なこと、サボって生きてきたから、とても苦労している。少しずつでしか、歩めない。歩むどころか、戻ってばかりかもしれない。
自分ひとりで生きているわけじゃないと気づいてからの今が、苦しいし、でも幸せなのかもしれないと思うときがある。
いつでも死ねる、って考えたら強くなれるよね?とか、
死ぬぐらいの勇気があれば、生きるなんて楽勝さ!とか、
そういうの書いてる本も読んだし、そういうこと言う人にも出会ってきた。
それは、生きていける人グループなのだとポチは思うんだなぁ。
ポチ的にはね、いつでも死ねるは本当に死んじゃうし、死ぬ勇気は生きる勇気と同等だと思ってる。どっちも苦しく辛いことの意味でラクなんかじゃない。
でも、死なないでと泣いてくれる人が一人でもいてくれるうちは、ちょっとだけ生きてみようと思ってしまった。
私はとても単純だったようです。
自分はこねくり回して言いまわすくせにね(笑)
何が正しくて、何が間違いなのか、心の中はいつも複雑。
私はいつも『0か100』か、『正解or不正解』で白黒つけたく生きるクセがあるから、グレーも遊びの余裕もないから、いつまでたっても変わらない。
それで損したりするし、でも難を逃れたりしてることもある・・・はず。
でも全部いつも自分で決めて、自分に責任があることはわかっているつもり。
35歳の生きるという選択が正しいかは、まだまだわからない。
でもね、ちょっとね、色々、既にまた私間違っているのかなって若干思ってる。
悩んでる。すぐ壁にぶち当たってしまうんだ。他の人にはなんてことなくても、ポチにとってはすごくすごく高い壁。
私は長らく誰も…自分さえも大事にしていなかったから、本当に、特に人間と関わりあうことは、難しくてドキドキがとまらない。
人と、物事と、真剣に向き合うって、すごく怖い。
仕事以外で、私生活で、自分の家族以外のいろんな人たちと関わるのは久しぶり。
でも何事にも、誠実でありたい気持ちはいつでも変わらないから、がんばる。
10年程死ぬと思っていた気持ちも、まだ大事にしていたい想いだ。
そう簡単には切り替わらない・・・よねー。
だってそれも大事な自分の一部だから。すぐには消えない。消させたくない。
単純に素直に、ハッピッピー☆って生きれるのが一番素敵なことだと思ってる。
私だけじゃなくて、世の中の皆が、ただただ単純に。平和に。安らかに。
私は35歳。昔とは違う。昔から変わらないもの+現在進行形の私のこころ。
今の私でがんばるしかないんだ。
・・・だよね?(弱気)
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というわけで、今日も生きています。
去年の私、おめでとう。生きていたね。よかったね。
こんな未来、一ミリも想像していなかったよね。
今日の語りたいことは、これでおわりです。
読んでくれてありがとうございます。
とりあえず、今日だけ・今日だけ…って牛歩作戦のように生きてみるのは変わらないので、このブログも更新していきたいと思っています。
これからも、ポチをよろしくお願いします。
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