ポチは働かずに生きたい。

ポチ(忍者)のいつか死に絶える日までの記録。

【おわりがこわい症候群】、の巻。

こんばんは。ポチです。日曜日は部屋の掃除をしてスッキリです☆

部屋の空気を入れ替えて、三月の〆にむけココロの準備をする。

 

今日はタイトル通り、【おわりがこわい症候群】のおはなし。

(※これは勝手にポチが命名したものであり、医学的根拠・意味は微塵もございません。)

これは何かというと、物語を終わらせることができないっていう…謎の症状。

例えるならゲームの話がわかりやすい。ポチはRPGをプレイするのが好きだ。FF、ドラクエ、テイルズ、クロノトリガー&クロス…どれも楽しい。昔クリアしたゲームを、改めておとなになってもたまーにプレイするととても楽しい。でも、でもね、

ラストダンジョン・ラスボス前最後のセーブポイントで放り投げてしまうのだ。

なんていうんだろう、すごくエンディングを迎えるのが怖いというか虚しいというか寂しい&悲しくなるっていうか…そういう感情にココロ全支配されてしまう感じ。あ゛ぁ~もう終わっちゃうんだぁ~あ~あ~(泣)って。これほんとなんなのだろう?おかげでクリアできず、似たり寄ったりのラスボス前セーブデータが上から三段以上はたまっているんだ…。少なくとも三回以上はその症候群、発症してるってことだよね?!えぇぇー…。

物語完結させたい気持ちと、いつまでも冒険していたいウラハラの感情が我を悩ませる…うぅ。

きっとそのセーブデータのキャラ達は、『さっさとクリアして私・俺達を幸せにしてくれYO!』って思ってるに違いないよね(妄想)。 なんか…悪いことしてる気分になるのだが…。

 

こういう同じ感覚になる人たまにいるらしくて、質問してる人のスレみてたら『他人と違う特別な自分感をアピールしてるんですね』的なレスがあったりして、えーー!そう思われちゃうの~?!って思ったんだけど、決してそんな特別感だしたいわけではなくて、なんともこの不思議感覚わかってもらえないだろうか、ねぇ!?!?(必死か)

 

そんな困った症候群持ちですが、ゲームに関しては最近は実況プレイ動画とかたくさんあるので、とてもありがたいのです。どうしても自分でエンディング見るんだ!っていう意思も我には特にないので、実況者さん達が自分なりにおもしろくプレイしている動画をみてクリアした気になれれば、それでもう満足だ。

今孤独にひとりでプレイしているから単純に寂しくなるのかなぁ?学生時代みたいに友達と一緒にプレイするとか、誰かと一緒ならエンディングまで乗り越えられるのだろうか?生配信でRPGとか配信してるの見ると、たくさんの視聴者さんと一緒に進めていくのが楽しそうだなって羨ましくなる。それは学生時代の、友達と一緒にゲームしてる感と似ているのかなって。ほほえましいよね。(あくまで勝手なイメージなので、それは違うよってこともあるのだろうけども)

 

--------------キリトリ線--------------

 

ゲームでなく”生き様的な視点”で終わらせることが怖いのは、いつのまにか好きなものが嫌いなものに変化していたり、得意だったことが不得意・苦手になる感覚を味わってしまったこともあるのかなと思う。

物事には全部裏表があるんだってことも、当たり前が当たり前じゃなくなって困難になった時、くじけたことがこんなところにまで影響しているのかとも思う。

終わるものは悪いことばかりとは限らない。楽しい気持ちも、しあわせな時間も、ステキなことも滅多に訪れないポジティブ面だって、いつか突然強制終了される日がくるのだと…経験してしまった過去があるからかもしれない。始まりがあれば、必ず終わりが来ると、どうしても意識が強くなってしまう。

そこから立ち直れない生き方してるから、どんなちっぽけな喪失すら避けようとして、始まる事から逃げ出すことに必死なのだなと思う。自分を守ることには相変わらず貪欲なのだね、と嫌になる。

なんか、↑このあたりのことは具体例だせずとても抽象的になってしまうのだけど…すまない!うーん…本当なにを伝えたいのかモヤモヤですよね。自分でも何を言いたいのか…だめだねぇ。どうか読んでくれた方に、もやもやが伝染しませんように・・・!(笑)

 

暇だからモヤモヤどうしようもない答えのないこと考えてるんだろって言われることもありますが、甘い。甘いわ。ポチは忙しくても暇でも、常に頭の中で(無駄に)自己会議中なのだ。そう、こういうところが、ひねくれもん。

 

--------------キリトリ線--------------

 

また新しい朝が来る。ポチは相変わらず、なまけ太郎でござる。

今週も、いや、今週と言わず未来永劫、どうか皆が(できるだけ)嫌な思いをしないで、傷つかず、なごやかに過ごせますように…。それがきっとひとりひとりのやわらかい生活に繋がるだろうと信じて。おやすみだワン。